| 2025年10月28日(火) 神澤の瀧、葛輪の石棒 | ||
| 4月に、井の頭公園に源流を発する神田川沿いを柳橋まで歩いて以来、ウォーキングをご無沙汰していることに気付き、昨日の山下公園散策に続き相模川にあるという神澤(かんざわ)の滝まで久しぶりのウォーキングに出掛ける。 電車を乗り継ぎ、JR相模線の南橋本駅に出て歩き始める。途中に、葛輪の石棒に寄り道しようと地図を頼りに歩いて行くと、応永元年(1394年)に蔵王大権現を勧請したと伝わる下九沢塚場の御岳神社の玉垣がカーブする道に沿ってきれいに建っているのが眼に入る。境内に入ると、氏子の方と思われる男性が清掃に余念がなく、きれいに掃き清められている。拝殿の前には寛永十年に建立された石燈籠が建っている。 御岳神社から相模川に向かって進んでいくと、塚場の三叉路に三面に2体ずつ地蔵を彫った六地蔵尊が小さな洞に祀られている。ウォーキングでいつも感心することであるが、洞の前には新しい菊の花を供えられており、地元の信心深い篤志家が日々お参りして人びとの安全を祈願してくれていることが伝わってくる。 |
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御岳神社 日本武尊を祭神とし明治2年に御岳神社と改称された なぜ日本武尊が祭神なのか興味をそそられる |
六地蔵 ウォーキングのときには六地蔵を見つけると写真に納めているが この種の六地蔵は目にすることが少ない |
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住宅街を通る道を上って行き、上り切ったところにある変則三叉路の三角地帯に石仏群が見えてくる。この石仏の中に鉄の柵で囲われた葛輪の石棒が立っている。昭和48年(1973年)に発掘された、縄文時代中ごろの遺物で今から4~5千年前のものといわれている。葛輪自治会に書かれた説明板によると、「先端にふくらみを付けた石器で、呪術敵、宗教的な意味をもつものとされ、日常生活における災いを防ぐためのまじないとして、住居の入口などに立てられていたと考えられる。」となっている。 |
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| 葛輪の石仏群 葛輪の石棒とともに双体道祖神 庚申塔 地蔵尊、崇徳報功碑などの石仏が並べられいる |
葛輪の石棒 石器という説明がなされているが 大きさと形から見て宗教的な意味合いの石棒と考える方が妥当と思われる いわゆる男性器を模したもので子宝に恵まれることや子孫繁栄を祈願して祀ったものと思えて仕方がない |
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| 葛輪の石棒からは相模川に向かって下りの道となるが、三菱重工の工場を過ぎると一帯は相模川の河岸段丘の平坦な土地となり、畑や田圃が開けている。北の方向に目を移すと、リニア新幹線の新駅が設けられる橋本に建ち並ぶ高層建物群が視界を塞ぐように迫ってくる。 畑地の間の道をしばらく歩くと、道は急坂の下りとなり、一気に相模川に近づいていく。その途中に神澤不動尊のお堂が建っている。境内の説明板によると、創建は不詳であるが、本堂の再建が最初に行われたのが保元2年(1157年)と社記に記載されているというから、平安時代に創建された古社のようである。また、ここから5町余(約550メートル)にある神澤の滝に渡御(とぎょ)する「滝降りの神事」が行われるということから、神澤の滝との関係も深く、滝の水底から出現した鏡を神鏡とし天照皇大御神(あまてらすおおみかみ)を祭神としている。そして、旱魃のときには、滝を浚い、祈雨の祭祀を執り行う風習があるようで、不動明王を本尊として祀ることも納得できる。 |
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| 河岸段丘の畑地 リニア新幹線の駅に決まる前からJR橋本駅周辺にはタワーマンションが建っていたが 今はリニア駅に引きずられるように駅前の整備、高層建物の建設が進んでいる |
神澤不動尊 お堂の中を覗くと不動明王像が祀られ 相模川を隔ててここからも仰ぎ見ることができる大山阿夫利神社に関係する 雨降り信仰の場であることがわかる |
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神澤不動尊から更に急坂を下って行くと、河川敷のぬかるんだ土道となる。右側は垂直の崖となっており、いよいよ神澤の滝が近いと期待するが、一か所わずかに水が流れ落ちるだけである。辺りを右往左往してみるが、案内板も立てられておらず、滝らしいものは見当たらない。たまたま川の方からやって来た軽トラックを止めて滝について尋ねてみると、80歳ぐらいと思われる男性は地元の方のようで、昔は崖から7条の滝が流れていたが、宅地開発、道路の舗装が進み水が枯れてしまったという。ただここから戻ったところに滝があるようなことを話してくれたが、私の服装と靴では近づけないとのことである。神澤の滝を目標に歩いてきたので残念この上ないことであるが、これが時代というものであろうか。 |
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唯一水が流れ落ちる神澤の滝 |
現在は流れのない神澤の滝 |
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